『ババア』の話

幼い頃に見た毒蝮三太夫さんのように、僕は日常的に『ババア』と言ってしまう。

悪意はないが口が悪く、自覚はあるがやめる気はない。

僕は差別用語も結構普通に話すので、初めて聞く人は驚くと思う。

もちろんTPOはわきまえているし、言ってはいけないときには言わない。

・差別用語

いつの間にか差別用語になってしまった言葉がある。

例えば「めくら」。

元々はちゃんとした日本語で、漢字で書くと「盲」になる。

そういう日本語だと思っているから、盲という言葉を聞いても使っても特に悪い印象はない。

しかし、使っている側に差別的な意味合いがなくても、受け取る側が差別だと感じる言葉は多いのだと思う。

もしもこれが「目暗」だったとしたら、悪意から生まれた言葉だろうから使わないほうがいいだろうと思う。

考えてみると「醜男」や「醜女」は、
なかなかの言葉だと思う。

同じ意味合いで「ブス」という言葉がまかり通っているのだから、差別用語とはどういう意味なのだろうと思う。

もちろん僕の私見であり、答えを出すつもりも言葉の意味を考えたり否定も擁護もするつもりはない。

・ババア

僕の理屈でいえば「婆」もちゃんとした日本語。

「砂かけ婆」や「やり手婆」など、いろんな婆がいる。

『婆』に限って言えば、漢字のほうが許される気がする。昔話チックだからだろう。

カタカナで『ババア』とすると、ただの悪口に感じるから不思議だ。

僕は『婆』のつもりでも、受け取る側には『ババア』に聞こえるから、驚かれるのだと思う。

そもそもがお上品な言葉ではないことも関係しているのだろう。

時代の流れとして、言ってる側に差別の意味合いがなくても差別用語とされてしまう言葉はいくらでもある。

こうやって言葉が失われることは残念であるし、今後失われる日本語も多くなると思う。

先出の「盲」も今では辞書に載らない言葉になってしまったようだ。

・病院にて

僕の母は目が悪いので、通院や買い物には付き添うようにしている。

口悪く「ババア」と平気で言う僕なのに、母親の通院先では『孝行息子』ということになっている。

いちいち母親に付き添う息子は少ないらしく、どこに行ってもオカンは「いい息子さんですね」と言われるそうだ。

僕自身に直接言う人もいる。

確かに男親・女親を問わず、付き添うのは息子より娘のほうが多いようではある。

男は仕事があるからと思われているようだけれど、女にも仕事があるだろう。

仕事に就いていなくても家事や誰かの世話をしている人がいる。

男で付き添うから孝行息子という理屈はいかがなものだろう。

女で付き添う人も孝行娘なのに、わざわざ口に出して言う人は少ない。

そういうところが男女不平等と言われる部分だと思う。

そもそも、どうして男は親に付き添わないのだろう。

子供のためなら仕事を休んでも、親のために仕事を休む人はそうはいない。

たぶん、この辺りがおかしいと思う。

自分の親くらい大切にしろよ、と思う。

面倒くさいと思うときもあるけれど、折り合いをつけて付き添えばいいじゃないか。

今の世の中に欠けているのは、こういう義理や人情だと思う。

・会話と食事

実家に親御さんがいて、自分が家を出ている人に訊いてみたい。

お前さんは、あと何日親御さんと過ごせるんだい?

盆暮れに夫側と妻側で同じ日数を実家に滞在するとして、年に七日過ごせれば良いほうではないだろうか。

盆暮れの二回 × (二泊 or 三泊) で七日の計算だ。

実家が近くてちょくちょく帰るとしても、日数に換算すると意外と短いと思う。

子供が小さなうちは頻繁に帰っても、だんだん数が減る。

長い目で見ると、一年でそう何日も一緒に過ごしてはいないと思う。

親御さんがあと10年生きたとしても、全部まとめて二か月くらいしか一緒に過ごせない計算になる。

親と食べる夕食の回数は、もっと少なくなるはず。

そう考えると、自分の親くらいは大切にしたくなる。

自分が好きなものよりも、親が好きなものを一緒に食べたほうがいいと思う。

食事中は特別な話をしなくても普通でいいと思う。感謝が口にできるといいね。

テレビを観ながらやスマホ片手に無言で食べることだけはやめたほうがいい。

感謝は親御さんが生きているうちに伝えよう。

結果的に、それが一番の親孝行になるかもしれない。

・勝手な言い草

親には感謝をしているが、第三者的に見るとオカンは老婆である。

目が悪いこともあってほとんどの外出に付き合っているけれど、正直に言えば鬱陶しく感じることもある。

でも、僕が小さい頃は、母もそんなことを思いながらも面倒を見てくれていたのではないかと思う。

オトンはもう亡くなってしまったが、オトンも僕にそう思ったことがあるかもしれない。

そう考えると、僕も何も考えないで親に付き添うことが一番なのではないかと思う。

僕は小さな頃から親の面倒は僕が見ると思っていたこともあるけれど、これでいいと思っている。

親にはどうであれ、長く生きていてほしいと思うものである。

これが素直な気持ち。


あと何回、オカンと一緒に正月を迎えられるだろう。

来年の正月も無事迎えられますように。

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